若き日の思い出 山田常雄

栗原敬三氏が板橋区長に当選された2年後の昭和56年、赤塚に体育館と植物園が開設された年に退職者会「健友」が創設されました。 

当時、私は議会の書記を勤めた後、企画課に移り、都営や公団の団地指導調整担当を係長と二人、戸惑いつつ何とかこなしていました。

企画課では、途中に庁舎管理業務を挟み再度係長として戻り、通算10年に渡って区政変革時の様々な分野での取り組みに立ち会う得難い経験をしました。

始めは、50階高層マンション計画、教育大跡地獲得10万人署名運動に始まり、文化会館、新庁舎、区民センター建設と続き、更に長期基本構想、基本計画、実施計画、文化・国際交流・情報化など区政の根幹をなす計画作りが行われていきました。 

当時のスタッフは新たな課題の解決策を見つけねばならず、協力して切磋琢磨して取り組んでいきました。 

もちろん仕事の後の飲み会なども家庭を顧みず?よくやりました。すでに鬼籍に入られた佐藤廣氏と細野卓氏がバリバリの課長時代でした。釣りやキャンプにも全員参加で出かけるなど、喧々諤々の議論をするもののチームワークは大変良く困難な仕事を克服できたのだと思います。 

その中でも強く記憶に残る出来事は、1998年平成が始まる前年に、若手職員の提案による植村冒険館計画のリーディング事業として「ウエムラスピリッツin白馬」登山を実施したことです。

若手の体力を生かして全員参加で、早速、新庁舎13階の「階段往復昼休みレーニング」を行い、目標の富士山高度達成を成し遂げました。

区民50人の募集に100人からの応募があり、明大山岳部の応援を受け無事に12日で全員登頂することができました。

しかし、残念ながら私は麓で部長と一緒に現地待機の2日間でした。まだ私の白馬登頂は終わっていません。 

その後、職場有志の黒部渓谷廊下踏破話しと共に、仲間との飲み会では話題に事欠かない思い出深い出来事となりました。

●戻る