自分史なんて   涌井正雄

 健友が創立して40年、まったく早いものです。私は昭和32年に入区し、あっという間に60歳になり退職となりました。 

過ぎてしまえば何とも早いものです。でも役所で過ごした期間に様々な体験をして多くの人と交わりました。

健友40周年を迎え、フツフツと湧き出したことがありました。何しろ時間が経っているので勘違い、個人の名前を出さざるを得ないことを前もってお詫びをさせていただきます。 

私は役所といえば、「戸籍」とか「税務」の仕事が眼に浮かびますが、そういう部署には全く関係したことがありません。区民の中に入り、区民生活に密接した仕事に従事してきました。

 先ず思い出すのは、舟渡で行われる「いたばし花火大会」です。数十万人の観客を集めて開催されました。横山区民部長は、隅田川花火大会に「果たし状」を持参し話題になったこともありました。

次に思い浮かぶのは、「板橋区民まつり」です。町会連合会の協力の基に、元気のいいお神輿や、阿波踊りの連なる熱演により賑やかに執り行われました。 

板橋区では、区内の農地を借りて、それを区民に家庭菜園として貸し出す制度が開設され、練馬区に教えを頂き、一世帯15㎡の畑を貸し出し、様々な農作物を作ってもらいました。これらの事業も農業まつりの開催につながっていきました。 

また、変わった仕事では、舟渡会館の運営で、区の葬祭場として開設されました。印象に残るのは、行路死亡人の取り扱いで、身寄りのない方の火葬があり,隣の戸田火葬場に一人で行ったこともありました。 

最後に思い出したのは、志村に開設された「公益質屋」の運営です。街の質屋さんと同じ業務をしました。ある日応援で公益質店に勤務した時、近所の知り合いの方がお客様としてお越しになり、お互いバツの悪い思いをしたことがありました。

また、夜中に質店裏ドアのガラスを破り泥棒が侵入しようとしたところを見つけ、追い払ったことがありました。このような出来事が自分史になってしまいました。

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