「健友」発足(入区)当時の自身を振り返って 細井 榮一
私は、1981年に入区したので、今年で奇しくも「健友」と同様、板橋区職員生活40周年になる。
そこで、二重の40周年に因み、入区した当時の自身を振り返ってみる。
最初の配属先は下赤塚出張所。住宅密集地に育った私には、農地やゆとりある環境が心地よく、様々な青健事業にも快く取り組むことができた。3年目には光ヶ丘団地が完成し、転入手続きで大混雑したのも今では良い思い出でだ。
私は課長から「ペン字を習え」と言われた程の悪筆で、諸先輩からも「せめて丁寧に書け」と注意される中、非常に緊張し原稿を書いたのを覚えている。
他方、諸先輩は読み書きそろばんの天才ばかりで、達筆な原稿はもとより、数多の数字を瞬く間に珠算していく様には、目を見張ったものだ。
仕事は中々上達しなかったが、職場のコミュニケーションは濃密で、すぐに溶け込こんだ。まず歓送迎会で、「本当に採用するかオーディションをするから、何か歌え」と言われ、たまたま歌った読売巨人軍の応援歌がうけ、どうにか仲間入りを認められた。
当初予算編成が本格化すると、連日作業が深夜に及んだが、必ず諸先輩から「一杯やろう」と声がかかり酒宴で活力を回復した。
ようやく新年度予算が成立すると、打ち上げ旅行。私は幹事代行を仰せつかり、犬吠埼の旅館で受け取った一晩11人で「お銚子百本」の請求書には驚いたが、1年間の仕事の達成感も感じたものである。
こうして私は、曲がりなりにも予算マンの一員になったが、予算の初歩から叩き込み公務員としての基礎を固めてもらった上司・諸先輩には大変感謝している。当時の仲間とはOB会を続け、未だに杯を交わしている。(往年の酒豪達もだいぶ酒量は落ちたが)
こうした時から数10年が過ぎ、私もいよいよ今年は再任用最終年。これからは「健友」で、板橋区の先輩・同僚と濃密に活動していきたい。